北海道を代表する
7人に作家の力作が並ぶ
美術団体「春陽会」の道内に住む会員、会友らで構成する北海道研究会版画部の作品展がアートホール東洲館で開催されていました。きょうはその2回目です
笑う埴輪 射水美栄子
軍 鶏 剣持知威
楽園の女 2 渋谷美求
花菖蒲 剣持知威
オウトウ ー大柴ー 福岡幸一
アグリグリーン 佐々木千晶
捕鯨船 大井戸百合子
コップの中の鯨 大井戸百合子
冬のスズカケ 福岡幸一
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私の終戦記念日
きよう8月15日は終戦の日。昭和天皇が玉音放送で日本の無条件降伏を国民に伝えた日であります。東京武道館では戦没者慰霊祭が行われています。
私は1937年日中戦争がは始まった年に生まれて今年88歳です。年を重ねると頭も老化し過去の記憶もなかなか思い出せなくなってきました。
国民学校に入学し、天皇制軍国主義の教育で神社の前で最敬礼して登下校していました。高等科の生徒は毎日出征軍人の留守宅に援農に出かけていました。
「忠君愛国」の教育は、戦争を賛美し、天皇陛下のために命をささげることを「道徳教育」の中で徹底的に教え込まれました。
玉音放送は、近所の人がわが家に20ほどの人が集まって、雑音で聞き取れにくいラジオの前で何が起きたのか分からないまま聞いた記憶があります。
敗戦の翌日、わがマチは第7師団がある旭川のとなりにあるためか、アメリカのグラマン戦闘機が低空で何度も飛んで、その度に恐怖で田んぼの用水路に隠れていました。
戦争が終わってからは、学校の教科書は、戦争にかかわる箇所は、全て黒塗りでした。着るものも食べるものにも事欠き、かばんや長靴も配給だった記憶があります。
大人になってから、日本は戦争をなぜ始めたのか、敗戦の色が濃くなったのになぜ特攻作戦を行ったのか、原爆投下で国土が焦土化するまでなぜ戦い続けたのか疑問を持つようになった。
今年で戦後80年。280人いた国民学校の同級生もみんなあの世に旅立ち残り僅かになりました。この先は人に迷惑をかけないように過ごしたいと思っています。


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